1週間ほど喪に服してまして、
ブログの更新を止めておりました。

12/11に葬儀も終わりまして
一旦区切りがついたので
記事の形にして残しておこうと思います。

一昨年、母親、父親が連続して亡くなりまして、
今度はまさかの兄が交通事故で突然の死を迎えました。

連絡を受けて病院に駆け付けた時には
もう治療できる余地はなく、自分と妹、
兄嫁と息子の4人で亡くなる瞬間を看取りました。

両親に続いて兄と3人の死を看取っています。
こう送り出すのが続くのはしんどいなあ・・・

自分の思い出に残る兄は、
一般的な尺度で言えばかなりダメな人間で、
いわゆるグレて不良になって親に迷惑をかけ、
後に兄妹にも迷惑をかける事もしばしば。

ただ結婚して子供が出来て、仕事も軌道に乗り
このまま良い感じに人生が進むのかな?
と思っていたのです。本当人生判らないものだと、
しみじみ思います。

さほど兄に良い思い出は無いはずですが
それでも亡くなるには早すぎました。
亡くなった時はただただ泣けました。
迷惑ばかりかけやがってくそ。
なんですが悲しい。泣けました。

もう家族は嫁いだ妹だけになってしまった。
こりゃ早く死んだ方が勝ちだ。妹よりも
絶対早く死なないとと誓いましたわ。

人はいつ死ぬかわからないです。
悔いなく生きたい人は、悔いの残らないように
やりたい事はとっととやった方が良いです。
いつかやろうのいつかはきっと来ません。

あまりにも急な話で衝撃を受けましたが、
現実やる事が多くてノンビリもしてられませんでした。

大きな課題は、兄嫁が海外の方で日本の葬儀も
判らないし、漢字の読み書きも出来ないことでした。

実質的な喪主になってしまったので、
両親もお世話になった葬儀屋さんを手配して、
こうなると香典での収入も期待しないとマズイと
生々しく相談をしながら手配を進めました。

兄の遺体は事故なので一度警察に。
翌日葬儀屋と一緒に遺体の引き取り。
事故時の状況も段々と分かってきています。

今回は兄の会社の方や近所の方など多数の方に、
お世話になりました。そういった人間関係を
構築出来ていた事は自分の知らなかった兄の
誇るべき資産だと思います。
本当に周りの人に恵まれて良かったな。


葬儀には70名以上集まっていただきました。
当初は家族葬を想定していましたが、
思いのほか大勢の人に来ていただきました。
結果として会場も大きい部屋にして正解でした。

また兄は事故でかなり損傷があったのですが、
プロの方のお化粧で、そこそこ見られる顔に戻り
良い葬儀で送り出せたと思っています。

生々しい話ですが葬儀にかかった費用も、
頂戴したお香典で賄うことが出来ました。
ビジネス化している日本の冠婚葬祭ですが、
残された遺族を救済する余地もあるのは
有難いシステムです。

葬儀も終えて、次は49日後の納骨となります。
でもそれで何も終わりません。

兄嫁と息子の人生は続きます。
これからの事を考えると心配ですし憂鬱。

自分は勿論、嫁いだ妹も、
兄の会社の人たちもサポートする
意思はありますが、もう兄はいない。

どうやって生きていきたいのか、
何をしたいのかは自らが決めて、
動いてもらわないと。すべてを
助けることはできません。

まだまだしなければならない事は沢山あります。
兄の会社の整理、生命保険の手続き、
賃貸の住まいはどうするのか、
事故後の賠償のやりとり、
お金にかかわる問題も多々ありますし、

まだ中学生の子供の進路は?
今まで兄が学校や行政とやりとりしていた事も
すべて母親の仕事となります。

もしかすれば行政に頼ることで
得られることもあるかもしれません。
その行政に頼るという事もこれからは
兄嫁が自ら動かないといけません。

もしかすれば兄嫁だけならば
母国に帰ることもできるかもしれません。
ですが、子供は日本で育ってしまっています。
色々その判断も難しいでしょう。

これは物凄くデリケートな問題ですが、
関係する全員にもそれぞれの生活もあって
何もかもはサポート出来ないも事実です。

まだまだ先は続きそうです。
書類関係では助けてあげられても、
人生までは助けてあげられません。
それは「その人自身のモノ」です。

この辺りの感覚を分かってもらえたらなあと
思いながらサポートを続けていく所存。


いなくなった人なんかいない。

正直この一週間疲れました。
クタクタですわ~。仕事は休んだけど
精神が全く休めてないです。